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TVで久々に桂離宮の姿を見ました。 桂離宮は建築をしているものには特別な存在です。 建築を学ぶ過程で必ずと言っていいほどでてきます。このことには ドイツの建築家”ブル−ノタウト”の存在が大きいのです。 それまで桂離宮はそれほど日本においても注目されてる建築では ありませんでした。ところが1933年から3年間タウトが日本に とどまり日本中の建築を見てまわることになって様子が変わります。 (余談ですが秋田にもきております。秋田での逸話もありますが ・・・・。)話をもどします。 各地をまわってついに桂離宮を目にするタウトですが、感激の あまり泣いたと聞きます。 桂離宮こそ世界一の建築であり当時のス−パ−建築家グロピウス 、ミ−ス、コルビジェなどがさかんに唱えた「近代建築運動」の規範 であり理想としなければならない建築だ!と言っちゃったのです。 それを聞いた日本人がびっくりしました。 何んで泣くほどに感激したのか。そこには当時の機能美の思想が 見えてきます。当時の潮流にあった「機能こそ美であり、装飾 は犯罪である」との思想が根底にあったのです。 たとえば、建築の構造基本である柱、梁などは隠すべきではなく むしろ見せてこそ機能美に近づく、また水平ラインと垂直ライン のみで構築されるのをモンドリアンのコンポジション的な美に映った ようです。 ここからコルビジェのサボォア邸、グロピウスのバウハウス運動へと 繋がる”無装飾な美”へとなるのです。 私はこのような無装飾的な美としてとらえた桂を稀にみる美しい 建築ととらえることに何の反対もありませんが、その他にも きっと「その美」を超えるものが潜んでいるのだと考えています。 もし機能における美だけだとしたら世界には無数の桂に替わる 建築があるはずです。桂の美しさは機能美を超越した何かが あるように思います。例えば「間」「遊び」「無駄」などなどです。 ”遊び心”にある余裕が建築を美しく昇華させるものだと考えます。 当時の建主や作り手の遊ぼうとする心が創り出す空間性の妙。 桂離宮はやはり勉強になります。 やるなぁ〜桂 |
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